ボローニャ絵本展にて

今日は板橋区立美術館にボローニャ国際絵本原画展に行ってきた。なかなかの盛況ぶり。 緻密に描かれたものから、洗練された落書きのような作品まで多種多様な魂の放出が見られて結構だった。 気に入ったのはジャラルディーヌ・アリビューの「一番近くにある…

日記をしばらく開けていた。日記を書き連ねる必然性に欠いていたし、日々あまりにもせわしないあれこれをインプットしては吐き出していたのであえて日記という形をとらなくても事足りたともいえる。この間、スマトラ沖(バンダアチェ)にまた行ってきたり、…

シンプルな生活

仕事でスマトラ沖に行ってきた。津波災害から3年が立ち、復興の後の様子をほんの断片的にではあるが確認することができた。仕事とはいえ、上空から、船上からの美しい眺めをぼんやりと見ているだけで、心が洗われていくのがわかる。透きとおる波間を泳ぐカ…

起こるであろうことが起こる、とはいえ

この二月ばかりは、悲喜こもごものすったもんだで日記どころではなかった。日記が客観視をする行為なのであれば、自己を客観視などしたくなかったのだろう。振り返るには時間の手助けがいることが世の中には確実にある。それが、思いがけなかったり、理不尽…

偉大なる無頓着

電車の中吊りを見やると、川上未映子のポーズをきめたドアップが飛び込む。本当に、やめてほしいものだ。帯に現代の樋口一葉とある。そして例によって山田詠美やら池澤夏樹の綿菓子みたいな無内容な言辞が添えられていて、脱力を強くさせてくれる。彼らはか…

田舎が育ててくれた愛情

関東に久しぶりに雪が降った。 積雪こそしないけれど、朝に車窓からしんしんと降り積もる雪のにおう情景がどこか親密で美しい感じがした。そして雪が降っていたほうが肌に感じる寒さも軽減されるのはどういった理由からなのだろうか。 今日は出産後の友達と…

芥川賞受賞に思う

川上未映子が芥川賞受賞、という報に、嬉しさではなく寂しさがこみ上げてくるのはなぜなのだろう。(精神性において)思い焦がれた人間が遠くへ行ってしまうことの寂しさか、あるいは一つの類稀な才能が権威による承認によって俗化していく寂しさか。いずれ…

自分を見失っていたい

「いつも自分を見失っていたい」と言ったのは辻仁成だったか。気障でナルシズム漂う零句ではあるけれど、自分を見失うっていうのは、しかしたいそうつらいことである。恋煩い・・・まっとうな自己分析ができなくなり、行動が情動的になり、盲目的になるのだ…

君は慈愛を

仕事始めである。いつもの群青色の空気にも、心なしのさわやかな風。 年始の挨拶を取り交わし、ボチボチと仕事に取り掛かる。世界に重い緞帳が垂れこめているように感じられたのはいつ頃からだろうか、ふと感慨が襲う。 埃の積もったレコードプレーヤーに滲…

静謐な始まり

クリスマスから年末年始にかけて、しとしとと過ぎた。みずから望んで静謐さを求めたのだから、結構なことである。クリスマスは同僚たるMさんとしめやかに飲み、年末には彼女の勧めに従って遠藤周作『深い河』を読む。遠藤周作の本をまともに読んだのは初め…

文字の洪水に流されない

大きな本屋に足を入れると、溢れんばかりの文字と色の渦に最初は眼をしばたたかせ、目当ての本が隙間ない整列の中から見出されると心踊り、他の本の装丁やら帯やらあとがきやら出だしやらポップやらを眺めているうちに次第に飽きとともに嫌気がさして退出す…

お引越し

職場の場所が神保町から霞ヶ関に移って、引越しの慌しさに紛れて、生活も慌しく過ぎ行くのを感じる。神保町でよく通った立飲みのバーにお別れを言いにMさんとのみに行く。ダブルベイというこじんまりとした、しかし小粋なその店は、カウンターに陽気なルー…

意識に関するメモ

意識は実在するか?と問うとき、まずはその語の使用が問われねばならない。まずは、意識。「意識は」と語る時点において、すでにして意識なるものの何であるかが、問う者によって認識されていなければ問いそのものが成立しないであろう。だからこう問う以前…

六本木周遊

今日は友達のゴン太郎のライブにMちゃんと一緒に六本木へ。ライブはいつものように愉しんだけれど、ついでにミッドタウンとヒルズも周遊してきた。あたりまえのようにイルミネーションで溢れかえっていて、買い物目当ての集団や家族連れやらカップルたちで…

東京地裁にて想う

今日は仕事で、ある刑事事件の初公判を傍聴してきた。裁判の傍聴などというのは初めてなのだけれど、小さな法廷でそれは行われた。検察の席にいるのは駆け出しの感が強い若い男で、一方弁護側には気勢の上がらない国選弁護士がついていた。小説や映画なんか…

哲学の魔でない限りは

最近はウィトゲンシュタイン(及びその関連本)ばかりを読んでいる。おれがウィトゲンシュタインの哲学を知ったのは、大学時代に出会った永井均著『ウィトゲンシュタイン入門』によってである。この本の求心力は絶大で、偉大な入門書とは入門をうたいながら…

誰とも会いたくない

今日は会社の課の歓送迎会で、幹事ということもあって、普段使わない神経細胞を動員したので非常にくたびれた。二次会もしっかりやって、愛憎交々の酔狂連中がようやく帰途につき始めたとき、いつものようにモッサンが三次会をやろうと持ちかけてくるが、確…

テクネーなきテクノロジーの蔓延

気がつけば師走である。この日の経つの早さはなんだろう。毎日が金太郎飴のように思えるようであっても、それは思えるだけであって、実際には刻一刻と違う「今」を生きているのだけれど、何やら齢も20代の最後の年となると、それすら瑞々しく感じるための間…

涙が・・

今日は友人の結婚式に行ってきた。恵比寿にある東京ウェスティンで、それはそれは華やかではあった。おれはこれまでも方々の結婚式に出ては、ギターで余興も何度かやっているけれど、基本的にこれらの行事に呼ばれるのはやはり億劫ではある。村上春樹が何か…

罪と罰

硬く乾いた黄土のような我が心奥にすら、眩暈にも似た詠嘆をもたらす美しい物語がある。ドストエフスキーが紡ぎ出す、それらの物語の一つ一つの凄絶に対面していると、他の物語の一切がどうでもよくなってしまう。取るに足らないのだ。ドストエフスキーがあ…

草の根の社会学者

昨日は合同誕生会ということで、いつもの仲のよいメンバーで飲んだ。最近は歳を食ったせいなのか、といっても三十路前だけど、飲み会という席にひどく億劫になってきている。しかし、参加したら参加したで、自分の頭にひめたあれやこれらが理路よく整理され…

免許センターにて

自動車免許の更新に行く。普通免許というのがなくなって、条件つき中型免許になったとか、後部座席もシートベルトの着用義務をうたう法案が可決されたとか、業務上過失の刑期が5年→7年になったとか、色々に変わっていた。そしてしっかり違反者であるおれは…

乳と卵

川上未映子の『乳と卵』を読了。豊胸手術をする人は、一体胸に何を入れようとしているのだろうか、それが未映子の端的な疑問としてこの作品は書かれた、というようなことをトークショーで言っていた気がする。書き手の意図、というものはそれこそ読み手の取…

アルチュール・ランボー

ダラダラとした休日を過ごす。休日はダラダラと過ごすに限る。 正宗白鳥の文章を味わったり、小林秀雄の講演CDを聴いたり、アルチュル・ランボーの伝記映画を観たりして過ごした。映画は面白いのだけれど、最後があの描き方じゃあランボーに対してあんまり…

いざ鎌倉

昨日は友達のマダ子さんと鎌倉へ行ってきた。 東海道線は大船で降りて、そこから北鎌倉まで歩き、そのまま鎌倉まで足を伸ばした。大船から北鎌倉までは歩いて25分ほどであろうか、雑多な建物が建ちならぶ田舎くさい景観の中、幅狭い歩道をぐいぐい歩いて行…

日暮れて道遠し

今日は職場のM嬢とすこぶるワインを空けて呑んだだけあって、ずいぶん言いたいことを言ったし、M嬢も余計なことまで含めてずいぶん色々なことを告白していたと思う。そして、とても今日の飲み会は男同士の飲み会にありがちな下らないプライドの披瀝や軋轢…

埴谷雄高展にて

『死霊』を3章まで読み終えたところで、埴谷雄高『死霊』展に行ってきた。 みなとみらい線に乗って、元町・中華街駅に降りる。何だか半分日本の街にいるようで、半分どこかシンガポールとかその辺にいるような趣が元町には漂っていた。 その日の夜には銀座…

日々の泡

毎夜飲み会が続く。繰り返される組織の方向性についての展望と愚痴、二枚舌とポーカーフェイス。そんなことは、宇宙論的にいってどうでもいいことばかりじゃないか。そうやって全て片付けたくなる。出世というものに、興味がない。 どだい、何が何だか分から…

人は歌をうたいます

今日は友達のゴンがやっているバンドloose lifeのライブに行った。六本木に新しく出来たショッピングモール、東京ミッドタウンとかいう陳腐な名前のモールを潜り抜けて、女の子と待ち合わせてライブハウスへ。ゴンの出演時間を1時間間違えたので、そのぶん他…

国会雑記

今日は仕事で国会へ行く。連日国会がらみの待機やらで辟易しているところだけれど、思い返せば国会なんて行くのは修学旅行ぶり。衆議員会館では町村官房長官やら外添厚労大臣などと遭遇。秘書などに囲まれて足早に過ぎ去る外添さんの目つきは一見して尋常で…