二階から哲学

意識に関するメモ

意識は実在するか?と問うとき、まずはその語の使用が問われねばならない。まずは、意識。「意識は」と語る時点において、すでにして意識なるものの何であるかが、問う者によって認識されていなければ問いそのものが成立しないであろう。だからこう問う以前…

誰とも会いたくない

今日は会社の課の歓送迎会で、幹事ということもあって、普段使わない神経細胞を動員したので非常にくたびれた。二次会もしっかりやって、愛憎交々の酔狂連中がようやく帰途につき始めたとき、いつものようにモッサンが三次会をやろうと持ちかけてくるが、確…

ぷふぃ!!

あたりまえのことだが、存在とか死について考えることは、哲学を勉強することとは次元の違うことだ。例えば存在について考えるとき、ソクラテスからデカルトを経てハイデガー、日本で言ったら永井均に至るまでの哲学史を勉強する必要があるかと言われれば、…

体質の名は精神

最近、人の体質というものをよく考える。 基本的に人間関係のあれやこれやも、その場その場の行動にしても、生きていくあれやこれやも全部、その人の体質によるところが大きいんじゃなかろうか。 順接に納得しない、とかね。一般論が嫌いで、価値判断が迫ら…

思う、ゆえに、思いあり

永井均『西田幾多郎』を読む。数多くの洞察に満ちている本。本当にこういう本を読んでいると、川上未映子の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の中のセリフじゃないけど、あんたらは何が何をするんが人生やって思ってんねん、と思ってしまう。 おれは永井…