春の宵にl

また季節が巡ってきた。 勤め先の歓送迎会にて、間延びした、砂を噛むような時間が過ぎていった。 昔なら、こんな時間の浪費にいちいち苛立っていたところだが、歳月が人間を変えるのか、単に感受性が鈍磨しているだけなのか、なんの感情の起伏もなくただ時…

太陽と鉄

このふた月ほどは、三島由紀夫の文学、評論、そして昭和45年11月の自衛隊・市ヶ谷駐屯地における自刃に至るまでの道程について手当たり次第に読みあさっている。朝、通勤時の読書用として書棚から持っていく本を思いつくままに抜き出す折り、たまたま三島さ…

震災に思う

東日本を立て続けに襲った震災から2週間が過ぎた。 石巻市にある生家は奇跡的に倒壊もなく、床上浸水もなく、家族親戚そろって無事だったものの、近隣の方々で安否が未だに分からなかったり、波にのまれて亡くなられた方がたくさんいる。 石巻市の人口は16…

「コンタクト」は宇宙の話だ。観るのは何回目だろう。 人智を超えた世界へのいざない。最新のCGや合成を駆使した仰々しい映像といったらそれまでだが、観終わった後に訪れる神々しい気分は確かだ。我々はちっぽけで、脆い。そんなことは9.11やアフガン報…

アラスカから帰って来て1ヶ月が経つ。 官庁街で会計的雪かき仕事に明け暮れていると、眼に見えない塵が肩に積もっているのに気がつかない。 塵はやがて体内から精神へと侵食し、やがて人をだめにしてしまう。アラスカへはジョン・クラカワーのベストセラー…

「夕凪の街 桜の国」を観る。麻生久美子が演じる1部と田中麗奈の2部による広島の原爆をテーマにした物語だ。 戦争ものの作品にありがちな重苦しさがなく、あえてそうしているのだろうが、牧歌的で美しくその時代が描かれていた。 こういう作品を観終わると…

熊本空港に降り立つ時の景観は牧歌的でいい。きれいに区画された田園、整然と配置された藍に塗られたトタン屋根たち、へ細長く走る白川・・・。 そして熊本市から日本3大松島の天草へ向かう。雨のおかげでせっかくの景観も映えなかったが、夏や秋に来ると楽…

昨日は代々木で人混みごった返す中、フィギュアスケートのアイスショー「スターズオンアイス」へ。

メディアで何度も観たおかげもあって2次元と3次元の違いを区分けするのが難しかったが、やはり本生は違う。 崇拝の手続きを経られた肉体における精神的舞踏・・・それがフィギュアスケートだ。 自分はミーハーなファンよろしく浅田真央観たさで行ったわけ…

グラン・トリノ

クリント・イーストウッド『グラン・トリノ』を観賞。 アメリカ移民のモン族と白人の老人とのささやかな、しかし味のある親密な交流を描く。 アメリカ(舞台は中西部だが)が抱える人種差別や暴力・銃社会といった理不尽で硬質な世界をバックグラウンドにす…

Viva La Vida

昨日は友人の結婚式に行って来た。 表参道の閑静な住宅街にある豪奢なパーティ用のガーデンプレイスにて。 友人の友人としてパティシエの柿沢さんが来ていた。最近は情熱大陸にも出演して活躍が注目されている。 年齢は一つしか違わない、ひょうひょうとした…

あるひとつの達成

自分が長い時間かけて、時に虚無を感じながら、半ば投機的に運んできた一つの仕事が、なんとか形になってまとまった。 自分の仕事とは、いやしくも公僕と呼ばれる人たちがしっかり無駄のない仕事をやってるかをチェックするというものなのだが、 今回は長い…

悲しい色やね。

レオ・コッケの『アイス・ウォーター』を聴いて打っている。 サイケデリックにひずんだエレクトリックなスライドギターの音色が雨降りの憂鬱を払ってくれる。 好きな感性をネットのサーフィンでたまたまみつけて、日記などを読むとずいずいと引き込まれて行…

ヘヴン

先週末はアホ友のM美から荷電あり、なんでも家にゴキブリが出たとのことでヘルプミーとのことだったので、月島くんだりまで行ってきた。 たまたまディセントというけったいな、しかし身の毛もよだつホラー映画を観てたばっかりに戦闘態勢になっていたので、…

PETER FINGER

今日は曙橋のBACK IN TOWNでピーターフィンガーのライブを聴いた。 フィンガースタイルのアコースティックギターミュージックという、今でこそ巷に氾濫している一つの音楽領域において、ささやかではあるが確実な達成を積み上げている人。アコースティックギ…

4つのM

西部邁の『妻と僕』を読む。死の時間に片足を突っ込みつつ、浮き世の雑事に追われていると、どうしても心棒を固めてくれるようなソリッドな文章に触れたくなる。 そういう意味では西部翁の、その生き様にまで高揚した論理が散らばっている本書を読むと、一服…

弔いの日に

戦争も飢餓も知らない世代にとって、死というものが突如として突きつけられると、呆然を通り越して得体の知れない奇妙な感覚に襲われる。 江藤淳が『妻と私』の中で記している、日常性と実務の時間から離れた世捨人のような「死の時間」というのはこのような…

三沢が死んだ

三沢が死んだ。死んでしまった。 呆然である。文字通りの呆然だ。また一人、自分の心のどこかの支柱となっていたような大きな星が墜ちた。 プロレス観戦からは大学卒業して以来久しく遠ざかっていた。三沢のノアや新日本や全日本がその後どんな状況だったの…

絨毯売り的人生

トルコから昨日帰って来、時差惚けの心地よい非現実感もようやく醒めつつある。 対流圏と成層圏の境目あたりにある、神々しい青と朱色の織りなす光景から一挙に下降して雲をすり抜けると、灰色に覆われた成田の田んぼ畑が眼界に広がる。 ああ、帰ってきたの…

老人の眼差し

公園や図書館のベンチの背にもたれかかり、子供たちや鳥たちの戯れを眺めるともなく見守っている老人たちをたまに見かける。 老人の・・嗄れた瞳の奥に沈殿する光がとらえる、躍動し、惹起し、移ろいでは消えて行く若々しい生命の彩りはどんなものなのだろう…

ナイス、ナイス、ヴェリナイス

WBC決勝、日本が勝った。まるで筋書きつきのドラマのように9回裏で追いつかれ、延長に突入したあげくの大接戦を制した。 そこにあるのは感動だけだ。イチロー、おいしいところだけ持って行ったのかもしれないが、10回表のツーアウト2、3塁のあの状況、…

サリエリ的悲哀

旧友の勧めにのって『アマデウス』を観た。実に味わい深い作品であった。 古書読むべく 古酒飲むべく 旧友信ずべきとは言ったものだ。しかし物語は友情物語などではなく、己の才能に絶望的になる余り、神を呪詛し、天賦の才能を無垢なまでに溌剌と見せつける…

春の獣たち

多摩にある動物公園に行ってきた。 春の陽気、春の風。白木蓮の花が、止まり木で休む小鳥のように綺麗に咲いている。 敷地面積が上野の3倍あるのもあって、動物たちは放し飼いに近いようなスタイルで飼育されていて、こちらまで開放的な気分で楽しむことが…

疾駆する闇

まだハイテクノロジーにさらされていない、いわゆる発展途上国を旅すると、 思ってもみない世界の中に没入することで、思ってもみないプリミティブな感情が生起することがある。ラオスに行ってきた。日本との気温差は多い時で20度くらいで湿潤な気候なのだ…

小室事件にほのみえるもの

深沢七郎『楢山節考』を読み終える。郷愁にあふれる牧歌的な文体と裏腹に、内容は「姥捨て山」に捨てられる、いや、正確には捨てられに行く女とその息子の物語である。 淡々と読み進め、淡々と読み終えて、獏たる感慨を抱いたが、なんともとらえどころのない…

三十而立

30歳になった。 お祝いしてもらったりするも、30の自覚もないままにするりとこの路に入った感があって、この調子だと40の路もするりと入るのではなかろうか。 しかしこの年になるといい加減世の中のあれやこれやが見えてきて大したことでは動じなくな…

PETER FINGER

密やかに光明を放っているものが好きだ。 広く大衆の手垢にまみれないことによって通俗化を免れているもの。 大衆の厳しい視線を逃れながらもけして安易な自己模倣や自己満足に堕していないもの。 音楽でいうなら、文句なくピーターフィンガーの奏でるものだ…

しあわせのたんぽ

今日はひさしぶりに痛飲し、久しぶりにその勢いで日記を書きなぐるので、筆は大言壮語、大方狂人の殴り書きである。 虎ノ門には雨がそぼ降り、おれは昨日も傘はさしていないし、今日も傘はさしていない。雨もしたたるほど良い男かっていうと自信はない。 今…

last train

ようやく会社のゴッタゴッタの繁忙期も片がつきそうで、素直にうれしい。ボチボチ日記も再開。それにしてもめっきり冷え込み始めたものだ。 この半年ときたら、まるで病気のハムスターみたいに回転車をカタカタ必死になって失踪している感じだったもの。 し…

少年は荒野を目指す

吉野朔実の同タイトルは、今から20年以上も前の作品だけれど、傑作『ぼくだけが知っている』に通底する味わいがありますな。 吉野さんの描く世界は流麗で美しい。とりわけ彼女の描く星空と草原はどこか優しくなつかしい気持ちにさせられる。夢と現(うつつ…

The time you spent for your rose

久しぶりの日記は疲れているので、ですます調でかかせていただきますです。 今日は某所で新作の絵本を発表してきました。といってもアマチュアですが。 今回も色々考えさせられたのだけれど、やはり表現する、ということは非常に難しいものです。 正確に言え…