2009-01-01から1年間の記事一覧

グラン・トリノ

クリント・イーストウッド『グラン・トリノ』を観賞。 アメリカ移民のモン族と白人の老人とのささやかな、しかし味のある親密な交流を描く。 アメリカ(舞台は中西部だが)が抱える人種差別や暴力・銃社会といった理不尽で硬質な世界をバックグラウンドにす…

Viva La Vida

昨日は友人の結婚式に行って来た。 表参道の閑静な住宅街にある豪奢なパーティ用のガーデンプレイスにて。 友人の友人としてパティシエの柿沢さんが来ていた。最近は情熱大陸にも出演して活躍が注目されている。 年齢は一つしか違わない、ひょうひょうとした…

あるひとつの達成

自分が長い時間かけて、時に虚無を感じながら、半ば投機的に運んできた一つの仕事が、なんとか形になってまとまった。 自分の仕事とは、いやしくも公僕と呼ばれる人たちがしっかり無駄のない仕事をやってるかをチェックするというものなのだが、 今回は長い…

悲しい色やね。

レオ・コッケの『アイス・ウォーター』を聴いて打っている。 サイケデリックにひずんだエレクトリックなスライドギターの音色が雨降りの憂鬱を払ってくれる。 好きな感性をネットのサーフィンでたまたまみつけて、日記などを読むとずいずいと引き込まれて行…

ヘヴン

先週末はアホ友のM美から荷電あり、なんでも家にゴキブリが出たとのことでヘルプミーとのことだったので、月島くんだりまで行ってきた。 たまたまディセントというけったいな、しかし身の毛もよだつホラー映画を観てたばっかりに戦闘態勢になっていたので、…

PETER FINGER

今日は曙橋のBACK IN TOWNでピーターフィンガーのライブを聴いた。 フィンガースタイルのアコースティックギターミュージックという、今でこそ巷に氾濫している一つの音楽領域において、ささやかではあるが確実な達成を積み上げている人。アコースティックギ…

4つのM

西部邁の『妻と僕』を読む。死の時間に片足を突っ込みつつ、浮き世の雑事に追われていると、どうしても心棒を固めてくれるようなソリッドな文章に触れたくなる。 そういう意味では西部翁の、その生き様にまで高揚した論理が散らばっている本書を読むと、一服…

弔いの日に

戦争も飢餓も知らない世代にとって、死というものが突如として突きつけられると、呆然を通り越して得体の知れない奇妙な感覚に襲われる。 江藤淳が『妻と私』の中で記している、日常性と実務の時間から離れた世捨人のような「死の時間」というのはこのような…

三沢が死んだ

三沢が死んだ。死んでしまった。 呆然である。文字通りの呆然だ。また一人、自分の心のどこかの支柱となっていたような大きな星が墜ちた。 プロレス観戦からは大学卒業して以来久しく遠ざかっていた。三沢のノアや新日本や全日本がその後どんな状況だったの…

絨毯売り的人生

トルコから昨日帰って来、時差惚けの心地よい非現実感もようやく醒めつつある。 対流圏と成層圏の境目あたりにある、神々しい青と朱色の織りなす光景から一挙に下降して雲をすり抜けると、灰色に覆われた成田の田んぼ畑が眼界に広がる。 ああ、帰ってきたの…

老人の眼差し

公園や図書館のベンチの背にもたれかかり、子供たちや鳥たちの戯れを眺めるともなく見守っている老人たちをたまに見かける。 老人の・・嗄れた瞳の奥に沈殿する光がとらえる、躍動し、惹起し、移ろいでは消えて行く若々しい生命の彩りはどんなものなのだろう…

ナイス、ナイス、ヴェリナイス

WBC決勝、日本が勝った。まるで筋書きつきのドラマのように9回裏で追いつかれ、延長に突入したあげくの大接戦を制した。 そこにあるのは感動だけだ。イチロー、おいしいところだけ持って行ったのかもしれないが、10回表のツーアウト2、3塁のあの状況、…

サリエリ的悲哀

旧友の勧めにのって『アマデウス』を観た。実に味わい深い作品であった。 古書読むべく 古酒飲むべく 旧友信ずべきとは言ったものだ。しかし物語は友情物語などではなく、己の才能に絶望的になる余り、神を呪詛し、天賦の才能を無垢なまでに溌剌と見せつける…

春の獣たち

多摩にある動物公園に行ってきた。 春の陽気、春の風。白木蓮の花が、止まり木で休む小鳥のように綺麗に咲いている。 敷地面積が上野の3倍あるのもあって、動物たちは放し飼いに近いようなスタイルで飼育されていて、こちらまで開放的な気分で楽しむことが…

疾駆する闇

まだハイテクノロジーにさらされていない、いわゆる発展途上国を旅すると、 思ってもみない世界の中に没入することで、思ってもみないプリミティブな感情が生起することがある。ラオスに行ってきた。日本との気温差は多い時で20度くらいで湿潤な気候なのだ…