2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

埴谷雄高展にて

『死霊』を3章まで読み終えたところで、埴谷雄高『死霊』展に行ってきた。 みなとみらい線に乗って、元町・中華街駅に降りる。何だか半分日本の街にいるようで、半分どこかシンガポールとかその辺にいるような趣が元町には漂っていた。 その日の夜には銀座…

日々の泡

毎夜飲み会が続く。繰り返される組織の方向性についての展望と愚痴、二枚舌とポーカーフェイス。そんなことは、宇宙論的にいってどうでもいいことばかりじゃないか。そうやって全て片付けたくなる。出世というものに、興味がない。 どだい、何が何だか分から…

人は歌をうたいます

今日は友達のゴンがやっているバンドloose lifeのライブに行った。六本木に新しく出来たショッピングモール、東京ミッドタウンとかいう陳腐な名前のモールを潜り抜けて、女の子と待ち合わせてライブハウスへ。ゴンの出演時間を1時間間違えたので、そのぶん他…

国会雑記

今日は仕事で国会へ行く。連日国会がらみの待機やらで辟易しているところだけれど、思い返せば国会なんて行くのは修学旅行ぶり。衆議員会館では町村官房長官やら外添厚労大臣などと遭遇。秘書などに囲まれて足早に過ぎ去る外添さんの目つきは一見して尋常で…

剥落の味

誕生日が過ぎる。ずいぶん生きたなあ、と思う。大きくなったなあ、と。まるで庄野潤三の小説の出だしみたいだけれど。 林芙美子の談話を聴く。とても芯の通った、しみじみとした語り口。 例えば終戦直後の日本人について。「(洗濯のように、日本人が)大ゆ…

ぷふぃ!!

あたりまえのことだが、存在とか死について考えることは、哲学を勉強することとは次元の違うことだ。例えば存在について考えるとき、ソクラテスからデカルトを経てハイデガー、日本で言ったら永井均に至るまでの哲学史を勉強する必要があるかと言われれば、…

生活感情の裏打がない

小林秀雄の対談を読んでいるだけで、今日もまた様々なことを考えさせられる。そこには嘘や衒いがないからだ。小林の中学からの友人である文人・河上徹太郎などが素直であると同時に衒いがたっぷりという感があるのに対して、小林にはそれがない。少年がその…

ぼくが電話をかけている場所

10月に入ってもまだ残暑の感がある。昼起きて、愛器MatonEBG808TEの弦を張り替える。こいつはアコースティックギターを弾く者の多くにとって偉大なる存在である、トミー・エマニュエルの使用しているものと同型のギターモデルで、箱鳴りやレ…

美は観念にあらざるなり

西荻窪でAさんと食す。Aさんは旦那のある女子で、彩色美しい絵本を描く人で、絵本出版社につとめている。絵本出版社に入って、業界のいい面、いやな面、さまざま味わっているらしいけれど、好きなことにたずさわって仕事できることは素晴らしことですな。 …

諺に宿る普遍

二人の友人から連絡が来て、最近写真を始めました、とかデッサンの勉強を始めようと思ってます、などと言われると、こちらまで何かを新しく始めたくなる心持ちになって、実にいいなあと思った。 写真を始めた女の友人は今日も三軒茶屋から下高井戸までの世田…

猫のゆりかごに揺られる世界

ワシントンではヴォネガットの『猫のゆりかご』を読み終え、保坂和志の『季節の記憶』を読み、などしていたのだけれど、保坂和志のものは彼の佳作『プレーンソング』同様に、5分の1くらいのところで投げ出して飛ばし読んだ。保坂和志の書くものを味わえる…

ワシントン雑記

ふだん時差ぼけた生活をしているから、3時間ほどのうつらうつらの睡眠でワシントンに着いてもなんら時差を覚えないのは得なのか。ワシントンは道路がよく整備されている。ダレス空港からの車道は5車線で、道沿いに桜並木が林立していて、春にはきっと花を…