春の宵にl

また季節が巡ってきた。
勤め先の歓送迎会にて、間延びした、砂を噛むような時間が過ぎていった。
昔なら、こんな時間の浪費にいちいち苛立っていたところだが、歳月が人間を変えるのか、単に感受性が鈍磨しているだけなのか、なんの感情の起伏もなくただ時間が移ろっていった。
と、斜に構えるような話でもないのだが。

急行電車の中。ジャッキー・ マクリーンのスイング・スワング・スワンギンを聴きながら揺られるのが心地いい。
I love you。cole porterの名曲。

いつかルディ・ヴァンゲルダー・マスタリングのファースト・エディションで聴いてみたい一枚。

ハードバップの音色がなぜこんなにも耳に心地いいのか。
その理由を小賢しく言語化したところでしょうがない。
極端なわかりやすい旋律、極端に奇をてらった旋律の両方を峻拒した地点にハードバップが位置している。

だから70年代に入ってリバイヴァルのムーブメント(というより再評価)があったし、現代でも基本的にジャズの正統はハードバップみたいなところがある。

また、ポツリポツリと記録を再開する。

太陽と鉄

このふた月ほどは、三島由紀夫の文学、評論、そして昭和45年11月の自衛隊・市ヶ谷駐屯地における自刃に至るまでの道程について手当たり次第に読みあさっている。朝、通勤時の読書用として書棚から持っていく本を思いつくままに抜き出す折り、たまたま三島さんの『太陽と鉄』を取り出したことがきっかけだった。この本は彼のミスティシズムの精髄を明かすものとされながらも、その独創的に構築された論理が読むものにとっては不可解であり、難解と評されることも多いようだが、私には彼の美意識なり美学なりが理解することができた気がした。

「私は、死への浪曼的な衝動を深く抱きながら、その器として、厳格に古典的な肉体を要求し、ふしぎな運命感から、私の死への浪曼的衝動が実現の機会を持たなかったのは、実に簡単な理由、つまり肉体的条件が不備のためだったと信じていた。」
「肉体が未来の衰退へ向かって歩むとき、そのほうへはついて行かずに、肉体に比べればはるかに盲目で頑固な精神に黙ってついて行き、はてにそれにたぶらかされる人々と同じ道を、私は歩きたいとは思わなかった。」(『太陽と鉄』より)

三島さんが自らのうちに宿痾のごとく抱えていた浪曼的な死への衝動が、結果、自衛隊基地でのいわば「日本人に対する諌死」につながっていることは想像に難くない。そこには無論、彼が信条として掲げる士道であったり、陽明学思想の影響もあるだろう。
そして、戦後の日本を鼻をつまんで過ごしていたという彼は、死ぬべき大義を「溶けていく日本」に対する警鐘に見出した。
その死からすでに40年余りが過ぎ、彼の予言が諮らずも的中している感があるのは否めない。

震災に思う

東日本を立て続けに襲った震災から2週間が過ぎた。
石巻市にある生家は奇跡的に倒壊もなく、床上浸水もなく、家族親戚そろって無事だったものの、近隣の方々で安否が未だに分からなかったり、波にのまれて亡くなられた方がたくさんいる。
石巻市の人口は16万人そこそこである。そのうちの1割が亡くなったり安否不明になったりしている。2週間が経過してもまだ全容を把握できていない以上、あるいはその数字はもっと増えるかもしれない。沿岸部は壊滅的だ。
我々に今出来ることは何か。自衛隊や災害ボランティアや現地の人たちが復興作業に取りかかるのを指をくわえて傍観することだけだろうか。街灯でなけなしの募金をすることだろうか。あるいは天に祈ることだろうか。現地に物資を届けることだろうか。
川崎市内の最寄りの駅前の喫茶店。そこには日常的ないつもと変わらぬ与太話と笑い声が飛び交っている。
200km先では今でも困窮した避難住民がいることへの想像力の圧倒的欠如。この圧倒的欠如がしかし、人間の精神衛生に一役かっているのだとすれば、それを非難する筋合いもないのかもしれない。女川原発の体育館を避難所にしている方々もいるわけであるから。そこには恐怖心を埒外に置く精神作用がある。
我々にできることは、この想像力の圧倒的欠如を承知の上で、ささやかでも役に立つことを行っていくことではないだろうか。そして、この出来事を記憶に焼き付け、被災された方々の生活環境を一刻も早く整えるための有効な方策を立てていくこと、失敗を繰り返さないための予防線を築き上げていくことに必要な財政資金を投入する必要があるし、そのためには数多ある利権がらみの無駄な政策に使われている資金を削るなり返還させるなりして資金を被災地に回すべきだ。
いま必要なことは政府の批判や理想論を振りかざすことでなく、現実の温かいパンとスープ、屋根のある家とベッドなのだから。

「コンタクト」は宇宙の話だ。観るのは何回目だろう。
人智を超えた世界へのいざない。最新のCGや合成を駆使した仰々しい映像といったらそれまでだが、観終わった後に訪れる神々しい気分は確かだ。我々はちっぽけで、脆い。そんなことは9.11やアフガン報復やイラク戦争やらで十分すぎるほど突きつけられている。柄谷行人的にいえば資本主義=ネーション(国家)=ステート(共同体)の中で生じるひずみ。
一体我々は何に敵対し何に抗い、何を目指しているのか。
こういう宇宙論的な世界観の作品を観るといつも沈思黙考、自己観照の世界に連れ去られる。

アラスカから帰って来て1ヶ月が経つ。
官庁街で会計的雪かき仕事に明け暮れていると、眼に見えない塵が肩に積もっているのに気がつかない。
塵はやがて体内から精神へと侵食し、やがて人をだめにしてしまう。

アラスカへはジョン・クラカワーのベストセラー『荒野へ』を読んで行った。
主人公クリス・マッカンドレスは或る程度の富裕な家庭に育ち、勉学もスポーツも要領よくこなし、高校も大学も優等な成績をおさめて卒業した。しかし卒業するや愛車のダットサンに乗ってアメリカ放浪の出る。旅の中途からはダットサンを乗り捨てて一人アラスカの荒野へ。3年にわたって家族と連絡は一切取らず、ジャックロンドンやソローを読みあさり、土地が与えてくれるものだけを口にして生きて行く。言葉でいうほどに簡単なことではない。簡単ではないゆえに、彼は不運に当たり、アラスカの荒野に入って4ヶ月後に飢えにより命を落とす。
1ヶ月前、アラスカのデナリ国立公園に行き、シャトルバスでバックカントリーまで行く途中、バスガイドがどこまでもひろがる平原の向こう側を指差して、マッカンドレスがあの山の向こう側で死んだということを淡々と話していた。

『荒野へ』には、マッカンドレス同様、荒野に魅せられて命を落とした男たちの夢見がちな、無謀な、しかし魅力的なエピソードがちりばめられている。
たとえば、1934年に、ユタ州南部のデイヴィスクリークで謎の失踪をとげた20歳のエヴェレット・ルース。彼が兄へ出した手紙はまるでマッカンドレスと同じものだ。

――僕がいつ都会にもどるかということですが、すぐではないと思います。
原野に厭きることがないからです。むしろ原野の美しさといまのこの気ままな生活を楽しんでいます。
この暮らしには、つねに張りがあります。ぼくが好きなのは、路面電車よりも鞍ですし、屋根よりも星のちりばめられた空、舗装された大通りよりも未知のものに通じている暗く困難な小道、都市から生まれる不満よりも荒野の深い平穏なのです。ここに滞在していることで、あなたはぼくを非難するでしょうか?
ここでは、自分が周囲の世界に属し、その一員だと感じられるのです。たしかに、知的な人々との付き合いはありませんが、彼らのなかには、ぼくにとって重要と思えることを話し合える人々がほとんどいませんから、平気でいられるようになりました。美に囲まれているだけで十分なのです…。――

彼らは、人間社会の雪かきの馬鹿ばかしさに若いうちから直観している。
社会や制度や人間関係がもたらす疲弊に対してつくづくうんざりしているし、そこに何ら一切の価値を認めていない。
彼らにとって重要なのは川のせせらぎであり、森の息吹であり、大地の胎動なのだ。
彼らの友だちは野に咲く花々であり、風に舞う鳥であり、川に泳ぐ魚たちなのだ。
そこには若年特有の青い美学がある。作り上げられたものに対する一方的な断罪と自己肯定がある。
社会における雪かき仕事の悲哀や機微を読み取ろうとする意思は微塵もない。
それゆえに彼らは短絡的ともいえるのだが、彼らがただの夢想主義者と違うのは、荒野に現に生き、そして死んでいったことだ。そこにはロマンチシズムを通り越した説得力がある。

その説得力は、禅語でいうところの本来無一物にあるのかもしれない。荒野を目指すことが自ずから精神の原野、無我の境地を目指すことに通じている。それを証明するかのように彼らは一様に禁欲的であり、敬虔な修道僧のような生き様を残している。

夕凪の街 桜の国」を観る。麻生久美子が演じる1部と田中麗奈の2部による広島の原爆をテーマにした物語だ。
戦争ものの作品にありがちな重苦しさがなく、あえてそうしているのだろうが、牧歌的で美しくその時代が描かれていた。
こういう作品を観終わるとアメリカ憎しの感情が高まってくる。フォードのマスタングを購入使用としていたがやめた。アメ車なんか買えるか・・・単純である。麻生久美子はこのヒロインのような役柄はまさにハマリ役である。
彼女が演じたヒロインは被爆した13年後に原爆症で亡くなる。美しいアカシアの木の下で、好きな人と実弟に見守られながら。

「原爆を落とした人、13年経ってまた一人死んだって喜んでいるかな」

木漏れ日の中で死の間際に力なく微笑む彼女の姿は虚ろで、哀しく、美しい。
日本人に生まれるということ、日本語をしゃべり、日本的な慣習の中に住まい、日本的な精神風土のもとで思考するようになるということ。善きにつけ悪しきにつけ。そして日本の歴史を背負うということ。
現在も原爆症で苦しまれている方はいる。

熊本空港に降り立つ時の景観は牧歌的でいい。きれいに区画された田園、整然と配置された藍に塗られたトタン屋根たち、へ細長く走る白川・・・。
そして熊本市から日本3大松島の天草へ向かう。雨のおかげでせっかくの景観も映えなかったが、夏や秋に来ると楽しげな感じではある。
夜は下島といわれる天草市にある小粋ないけすの魚料理店で舌鼓を打つ。鮮魚と酒をたらふく堪能しても2人で7800円。東京なら軽く1蔓円は超えているだろう。しかも味は3割引きで。
そして田舎の夜はどこも同じ。静謐な闇の中でところどころに散らばった白熱電灯やら店じまいしている商店の取り残されたような小さなネオンがポツリポツリ。
天草も一時期は観光の集客も上々でホテルも上天草の第1橋、第2橋あたりに出て栄えていたが、今はそのホテルが潮風にさらされた廃墟のようなものも見受けられて一抹の寂しさを感じさせる。
日本の田舎に漂う哀愁を嫌って人は都会を目指す。取り残された田舎は活気を一層失っていく。小さな商店街はシャッターと化し、駅前は錆つき、高速インター周辺に特大のショッピングモールができる。金太郎飴のように似通った田舎の街並みにおける弁証法。脱却するの原動力はやはり個々の人間の活力、だと思う。