シンプルな生活

仕事でスマトラ沖に行ってきた。津波災害から3年が立ち、復興の後の様子をほんの断片的にではあるが確認することができた。仕事とはいえ、上空から、船上からの美しい眺めをぼんやりと見ているだけで、心が洗われていくのがわかる。透きとおる波間を泳ぐカメ。芸術的に海上を飛び跳ねる飛魚。白銀の砂、宝石のような環礁。情報からすっかり遮断されて、自然が織り成す神秘的な景観に心をひたしていると、人間の原初的な感覚というのはこちら側にあるのだな、ということが実感できるのだ。シンプルな生活、シンプルな笑顔、シンプルな幸福。日本に降り立ち、必要以上の情報というか、言葉の自動増幅というか、それらお祭り騒ぎが作り為す虚構の大群に触れるともなく触れると、ああまた戻ってきたか、という気分になる。安心と倦怠。

帰りの便では何度目かの池田晶子『人生のほんとう』を読む。晩年の作でもあり、講義録ということもあって、きわめて彼女の思いが簡潔にまとめられている。人生は論理の側からいえば、「善く生きる」。非論理の側からいえば、「空(くう)」であり、「どうだっていい」。この二つは表裏一体であると。「どうだっていい」というのは、存在から森羅万象にいたるこの絶対不可解を前にすると、至極まっとうな感覚だと思うし、おれも現にずっとそうやって生きている。
とはいえ。「どうだっていい」のはわかっているけれど、おれはシンプルで美しいものに囲まれて生きていたいというのは一つあるね。とくに今回の旅でそれを強くした。本には「醜は美の別名」だなんていうくだりがあったけど、それは本当に宇宙大のレベルでの話なのであって。言葉の自家中毒になる前に、シンプルで、美しい生活を構築したい。おれにとって幸せの形はそういうところにしかないし、必要ない。