埴谷雄高展にて

『死霊』を3章まで読み終えたところで、埴谷雄高『死霊』展に行ってきた。
みなとみらい線に乗って、元町・中華街駅に降りる。何だか半分日本の街にいるようで、半分どこかシンガポールとかその辺にいるような趣が元町には漂っていた。
その日の夜には銀座TACTにて友達のライブがあったから、駆け足にはなるがとりあえず、神奈川近代文学館に行き、ぐるりと埴谷雄高の思考の軌跡を辿った。展示物は、般若(埴谷)家の家系図から始まり、小中時代の絵や、学生時代の演劇活動、共産主義アジテーター時代の記録、獄中の記録、獄中でのカント『純粋理性批判』との出会い、知己との往復書簡、ドストエフスキーへの傾倒、『死霊』の構想、『闇の中の黒い馬』の構想、雑誌の構想等々と興味に尽きぬ展示が数多く並べられていた。とても二時間程度では回りきらず、再度足を運ばなければならない。
埴谷雄高の肉声が聞けるコーナーもあり、それは講演「精神のリレー」(32分)なのだけれど、やはり言うことに重厚なものがあるというか、曰く我々の精神とはリレーのバトンのようなものであると。そして、そのバトンには「より深く考えろ」という言葉が刻まれている、という。埴谷雄高ドストエフスキー(以下「ド翁」)に睨まれて以来、ド翁よりも深く考えることが宿命付けられたわけであるが、笑いながらド翁よりも深く考えるなどということは我々俗人には到底不可能なのだけれど、というようなことを語っていた。しかし、そこに「より深く考えろ」という刻印がある以上、意識から意識、思想から思想、個人から個人へと継承されていくリレーのバトンを受け取ることに、その一回性の邂逅に意味があるのだろうということを埴谷雄高は雄弁に語っていた。そして、ド翁の作品群でいえば、彼の作品には読むと同時に必ずその精神のリレーの競争者にならなければならないような、名状しがたい精神の放射ともいうべき何かがあると、そのようなことを語っていたのだけれど、それはそれでその通りだと首肯したい。そしてその眼に見えない放射、或るたましいの渇望を言葉にして紡ぐのが、埴谷雄高の言うところの「不可能性の文学」なのであって、それはつまり彼の全生涯をかけて書き上げた(そして未完の)『死霊』ということになるのだろう。埴谷雄高の精神のリレーに加わる者としては、おれもより深く考えの射程を延ばしたい、言語という限界はあるのだけれども。
神保町は今、古本祭りでにぎわっている。世論調査で1ヶ月に1冊も本を読まないと答えた割合が5割を超えたとあったけれど、そんな記事も吹き飛ばす体のにぎわいぶりに、気持ちのいい感触を覚える。ネットで買うのは手っ取り早いし、安くて便利なのだけれど、やはり実際に手で取って、本の手触り、匂い、温もりを自らの直接的な感覚で感じながら本を選ぶというのはとても大事なことであると思うし、最近のオンラインでのバカ買いを少し反省してみる必要がある。昨日は正宗白鳥『今年の秋』、今日は小林秀雄本居宣長』とその『補追』を買う。実に、いい買い物だった。