田舎が育ててくれた愛情

関東に久しぶりに雪が降った。
積雪こそしないけれど、朝に車窓からしんしんと降り積もる雪のにおう情景がどこか親密で美しい感じがした。そして雪が降っていたほうが肌に感じる寒さも軽減されるのはどういった理由からなのだろうか。
今日は出産後の友達と久しぶりに飲む。ちょっと前まではふざけていた男も父親になるとやはり顔つきが変わってくる。夜泣きで3時間ごとに起こされる。おしめを替え、お風呂に入れてやり、飲んでいても帰りの時間を心配する。ガヤガヤとしていて生活が全般的に色つきになる。江國香織も名エッセイ『いくつもの週末』で言ってたっけ。
彼は出産にも立会い、それこそ鎮痛剤を何時に何ml打ったとかそういうことまで野帳にメモして万一の医療事故に備えたというもんだから見上げたもんだ。上司からは、授乳の最中にそのまま奥さんが寝入ってオッパイで圧死させないように注意しろと言われたらしく、ははあとおれも思わされた。
赤ん坊を一人育てあげるというのは大したものなのだ。命について、若い人々がそれを投げ出そうとするとき、その歯止めになるのはこういうエピソードなんじゃなかろうか。若き日の父親、母親。その手に子を抱いたときの破顔と哄笑、毎日寝つけないためにできる眼のクマ。そういう小さなことを想像すること。
石田衣良がテレビの企画で自殺防止のための童話を作っていて、それはある王国に生まれて、11歳7ヶ月で死ぬことに決めた姫の物語で、死ぬ前にガチョウのガウチョと世界を見ておくために旅に出るという話だった。姫はお祖父さんが死ぬ前に、イザというときに開く手紙をもらい、それも持って旅に出る。そして旅も佳境、姫が死のうと意思すると、ガウチョが先に樹から飛び降りて死ぬ。身を持って自死の悲しさを思い知らせたガウチョ。そして姫は手紙を開く。するとそこに「命名 姫」という紙が出てくる。姫が生まれたときに書かれた名付けの紙というわけだ。姫はそれらを見て、生きていこうと思い直す。

それはささやかな感動をもたらすシーンだけれど、やはり友達の日々の赤ちゃんを取り囲む泣き笑いを見ていると、子どもにとって、それらに勝る温もり、ジョセフ・キャンベル風に言えば「田舎が育ててくれた愛情」とてもいうのか、それに勝るものはないのではないだろうか。
おれの結婚式のときには、彼の子どもを後ろに引き連れて花束贈呈なんかさせるとか言ってるけれども、いったいいつになることやら。