太陽と鉄

このふた月ほどは、三島由紀夫の文学、評論、そして昭和45年11月の自衛隊・市ヶ谷駐屯地における自刃に至るまでの道程について手当たり次第に読みあさっている。朝、通勤時の読書用として書棚から持っていく本を思いつくままに抜き出す折り、たまたま三島さんの『太陽と鉄』を取り出したことがきっかけだった。この本は彼のミスティシズムの精髄を明かすものとされながらも、その独創的に構築された論理が読むものにとっては不可解であり、難解と評されることも多いようだが、私には彼の美意識なり美学なりが理解することができた気がした。

「私は、死への浪曼的な衝動を深く抱きながら、その器として、厳格に古典的な肉体を要求し、ふしぎな運命感から、私の死への浪曼的衝動が実現の機会を持たなかったのは、実に簡単な理由、つまり肉体的条件が不備のためだったと信じていた。」
「肉体が未来の衰退へ向かって歩むとき、そのほうへはついて行かずに、肉体に比べればはるかに盲目で頑固な精神に黙ってついて行き、はてにそれにたぶらかされる人々と同じ道を、私は歩きたいとは思わなかった。」(『太陽と鉄』より)

三島さんが自らのうちに宿痾のごとく抱えていた浪曼的な死への衝動が、結果、自衛隊基地でのいわば「日本人に対する諌死」につながっていることは想像に難くない。そこには無論、彼が信条として掲げる士道であったり、陽明学思想の影響もあるだろう。
そして、戦後の日本を鼻をつまんで過ごしていたという彼は、死ぬべき大義を「溶けていく日本」に対する警鐘に見出した。
その死からすでに40年余りが過ぎ、彼の予言が諮らずも的中している感があるのは否めない。