悲しくて明るい場所

震災に思う

東日本を立て続けに襲った震災から2週間が過ぎた。 石巻市にある生家は奇跡的に倒壊もなく、床上浸水もなく、家族親戚そろって無事だったものの、近隣の方々で安否が未だに分からなかったり、波にのまれて亡くなられた方がたくさんいる。 石巻市の人口は16…

悲しい色やね。

レオ・コッケの『アイス・ウォーター』を聴いて打っている。 サイケデリックにひずんだエレクトリックなスライドギターの音色が雨降りの憂鬱を払ってくれる。 好きな感性をネットのサーフィンでたまたまみつけて、日記などを読むとずいずいと引き込まれて行…

弔いの日に

戦争も飢餓も知らない世代にとって、死というものが突如として突きつけられると、呆然を通り越して得体の知れない奇妙な感覚に襲われる。 江藤淳が『妻と私』の中で記している、日常性と実務の時間から離れた世捨人のような「死の時間」というのはこのような…

三沢が死んだ

三沢が死んだ。死んでしまった。 呆然である。文字通りの呆然だ。また一人、自分の心のどこかの支柱となっていたような大きな星が墜ちた。 プロレス観戦からは大学卒業して以来久しく遠ざかっていた。三沢のノアや新日本や全日本がその後どんな状況だったの…

老人の眼差し

公園や図書館のベンチの背にもたれかかり、子供たちや鳥たちの戯れを眺めるともなく見守っている老人たちをたまに見かける。 老人の・・嗄れた瞳の奥に沈殿する光がとらえる、躍動し、惹起し、移ろいでは消えて行く若々しい生命の彩りはどんなものなのだろう…

起こるであろうことが起こる、とはいえ

この二月ばかりは、悲喜こもごものすったもんだで日記どころではなかった。日記が客観視をする行為なのであれば、自己を客観視などしたくなかったのだろう。振り返るには時間の手助けがいることが世の中には確実にある。それが、思いがけなかったり、理不尽…

自分を見失っていたい

「いつも自分を見失っていたい」と言ったのは辻仁成だったか。気障でナルシズム漂う零句ではあるけれど、自分を見失うっていうのは、しかしたいそうつらいことである。恋煩い・・・まっとうな自己分析ができなくなり、行動が情動的になり、盲目的になるのだ…

東京地裁にて想う

今日は仕事で、ある刑事事件の初公判を傍聴してきた。裁判の傍聴などというのは初めてなのだけれど、小さな法廷でそれは行われた。検察の席にいるのは駆け出しの感が強い若い男で、一方弁護側には気勢の上がらない国選弁護士がついていた。小説や映画なんか…

草の根の社会学者

昨日は合同誕生会ということで、いつもの仲のよいメンバーで飲んだ。最近は歳を食ったせいなのか、といっても三十路前だけど、飲み会という席にひどく億劫になってきている。しかし、参加したら参加したで、自分の頭にひめたあれやこれらが理路よく整理され…

日々の泡

毎夜飲み会が続く。繰り返される組織の方向性についての展望と愚痴、二枚舌とポーカーフェイス。そんなことは、宇宙論的にいってどうでもいいことばかりじゃないか。そうやって全て片付けたくなる。出世というものに、興味がない。 どだい、何が何だか分から…

Babel

何事もそうなのだが、共同作業というものにおいては、作業の関係者間で合意の形成を誤ると、どんなに忙しく立ち回っていても、結局は元の木阿弥に帰すということが往々にしてある。会議というものはすべからく合意形成のためにあるべきものなのだけれど、そ…

雑誌売り場の能動的ニヒリズム

書店の雑誌コーナーで、女性ファッション誌『ageha』が目に入ってきて、いきなり前面に「生まれつきエビちゃんじゃなくたって、私たち努力と一緒に生きていくんだ。」というデカデカとした文字とともに、たしかに努力と一緒に生きている感じの少女が厚化粧し…

A small , Good thing

会社の暑気払いみたいなものがあって、サンドイッチやら菓子やらを並べて、たくさんのビールとワインを隣にそえた。暑気払いとはいえども、若手二人が外に出はってしまう、ちょっとした送別の会。 「上のかた」がいつもの決まりきった、型にはまった、予定調…