4つのM

西部邁の『妻と僕』を読む。死の時間に片足を突っ込みつつ、浮き世の雑事に追われていると、どうしても心棒を固めてくれるようなソリッドな文章に触れたくなる。
そういう意味では西部翁の、その生き様にまで高揚した論理が散らばっている本書を読むと、一服の清涼剤となって心地いい。
現代ニッポンの意味深長な観念小説も、読者にへりくだった扇情小説も読む気にならないのは、そこに生き様にまで高めらたような覚悟も悲哀も感じられないからだろうか。
西部翁は本書で戦後日本を平定しているのは詰まるところ4つのMだと書いていて、それはマスによる、ムードの、モーメントだけの、ムーヴメントだと。大衆の感情に支配された一時的にすぎない行動。これにメディアのMを加えてやってもいいのかもしれない。
今の都議選やら衆院解散の不毛な狂熱にしたって結局は4つの(5つの)Mに支配されていて、自民の敗色は色濃いに違いないだろうが、民主党が政権与党になろうと、政治が刷新されて道程が明るく照らし出される訳ではないというこの閉塞感はどうしようもない。そういえばあれだけ騒いだ豚インフルエンザ騒ぎはどこにいったのやら。メディアが冷めればムードも冷めるというこの単純明快の中にニヒリズムの腐臭が立ち昇る。