絨毯売り的人生

トルコから昨日帰って来、時差惚けの心地よい非現実感もようやく醒めつつある。
対流圏と成層圏の境目あたりにある、神々しい青と朱色の織りなす光景から一挙に下降して雲をすり抜けると、灰色に覆われた成田の田んぼ畑が眼界に広がる。
ああ、帰ってきたのだ。

トルコという国は、一般に親日的といわれる。しかしそれは、大使も言っていたが、皮相な謂いだと思う。
彼らの微笑みの裏には、少しでも相手を敵と感じ取ればすぐに手のひらを返す怜悧さがある。
ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ側とアナトリア側では多少の色が違うだろうが、
今回イスタンブールアンカラに行って有象無象のトルコ人と触れているうちに確かにそのような側面を色濃く感じた。
イスタンブールの街中を歩いていると、カタコトの日本語で声をかけてくる青年。日本で日本語を勉強したという。もっぱらその「勉強」はスクールによるものではなく、日本人の女から直に学ぶようだ。
流暢な日本語でしゃべる絨毯売りの男も、日本で女でも作らない限りこんなに上達するわけないと豪語していた。
若くして日本に行き、ジャポンギャルズと遊んで(あるいは本気になって)日本語を習得し、
トルコに帰って絨毯売りとして日本人観光客をカモにする。その人生を想像すると、小憎らしい反面
なかなかに面白い人生ではあるなあとしばし感慨にふける。
そしてウシャク産の草木染の手織りのキリムが美しかったので買ってやった。

トルコの発展ぶりは、昨年末に行ったメキシコとよく似ている。ODAの基準で言えば中所得国に位置づけられるのだろうが、トルコの場合、円借款以外のODAはもう卒業だろう。大使館の経済協力担当も、近い将来トルコが日本を抜いて行くと語っていた。
歴史的建造物の合間を縫って現代的なビルディングが建ち並び、渋滞した車の列が必要以上にクラクションをならしまくる。
現代的都市の相貌は国こそ違えど似てくるものなのだろう。