サリエリ的悲哀

旧友の勧めにのって『アマデウス』を観た。実に味わい深い作品であった。
古書読むべく 古酒飲むべく 旧友信ずべきとは言ったものだ。

しかし物語は友情物語などではなく、己の才能に絶望的になる余り、神を呪詛し、天賦の才能を無垢なまでに溌剌と見せつける男(アマデウスモーツァルト)に執拗に嫉妬し、そして同時に心の底までその音楽を愛する男(サリエリ)という構図となっている。まあ余りくどくどしくは書かないが、この一つの寓話の中には努力で超えられない、神の造形ともいうべき一個の才能への怨念が閉じ込められている。
美しい音楽、美しい演舞とは裏腹の、血のしぶくような情念。

セレナード第10番「グラン・パルティータ」第3楽章を聴いたサリエリの言葉は、刺々しくも美しい悲哀に満ちている。

初めて耳にするような音楽。
それは満たされぬ切ない思いにあふれていた。
── まるで神の声を聴くような音楽だった。
なぜ?なぜ神はかくも下劣な若造を選んだのか?(『アマデウス』)

サリエリの声は世界の縮図だ。
今もどこかでーーーこの世のマエストロたちが紡ぐ天国的な音楽の陰で、静かに、暗い、鬱屈とした炎が燃え盛っているのだろう。
サリエリ的悲哀。