グラン・トリノ

クリント・イーストウッドグラン・トリノ』を観賞。
アメリカ移民のモン族と白人の老人とのささやかな、しかし味のある親密な交流を描く。
アメリカ(舞台は中西部だが)が抱える人種差別や暴力・銃社会といった理不尽で硬質な世界をバックグラウンドにすると対照的に人間的な愛情描写が際立って感ぜられるものだ。
この点、日本は眼につく人種差別や暴力や銃がないこともあって、文芸や映画を撮る舞台としてはテンションにかける。
(小説にしろ、映画にしろ日本にいまだ本格的なハードボイルドが存在しないのはそのためである。)

御年79歳にもなるイーストウッドが主演もつとめているが、これがまた尋常ではない味を醸し出している。
するどい眼光、無駄のない動き。退役軍人が放つサラリーマンにはない枯れた哀愁をうまく体現しているあたり、さすがである。
そして72年式グラン・トリノのフォルムの美しく屈強なこと。1970年代半ばに生産されていたフォード・トリノを通称して呼ぶらしいが、機能性をおよそ度外視した大柄かつ鋭角なフォルム、年季を感じさせない磨き上げられたダークグリーンの光沢は車乗りでなくても魅せられる。
因習的で、頑固で差別的で自身の子供とも不和が絶えない・・・しかし屈強で熱い魂を持つアメリカ老白人を演ずるイーストウッドは現代の人間類型からいってまさにグラン・トリノ同様の骨董品なのだろう。
しかしそのような骨董品のような屈強な父親像はどこか永遠の人間性を感じさせて、強い郷愁を覚える。