ワシントン雑記

ふだん時差ぼけた生活をしているから、3時間ほどのうつらうつらの睡眠でワシントンに着いてもなんら時差を覚えないのは得なのか。ワシントンは道路がよく整備されている。ダレス空港からの車道は5車線で、道沿いに桜並木が林立していて、春にはきっと花を美しく咲かせるのだろう。DC市街に入っても、人がポツポツとしか歩いていない。日曜ということもあってか、ジョギングしたりする人、チャリをこいだりする人、背泳ぎみたいな感じで仰向けになって車輪をこぐ、変てこな道具に乗っている老人などが見受けられた。
ホテルの周辺を散策していると、アーリントンの墓地が壮観な光景でせまってくる。白い歯のような墓が緑の丘に整然と陸続と並んでいるのには、しばし絶句。
そして硫黄島の記念碑に偶然遭遇する。例の「父親たちの星条旗」の巨像。「硫黄島からの手紙」は映画館で観たけれども、こちらはまだ鑑賞せず。ハタハタとひらめく星条旗を、数人のアメリカ兵がやっとの思いで打ち立てる姿で像が屹立していて、その周りを観光客めいた人々がとり囲んでいた。すべて白人で、アジア人(日本人)は自分ひとりだった。
硫黄島の戦いはいわずと知れた太平洋戦争における大激戦の一つ。物量作戦のアメリカに対して、日本が最後の死に物狂いの抗戦をし、両軍1万を超える戦死者を出し、死者数においてはアメリカが上回った、そんな戦いだ。
硫黄島からの手紙」でも描写されていたが、人が、簡単に死んでいく、死を選ぶ。もののはずみ、みたいな感覚で殺されたり自害したりしていく。個体として、どんな思いを胸中に抱いていても、全体的な意思のなかで全てが押し流されては消えてなくなる。たましいだけが残る。
夜は老舗のジャズクラブ「ブルース・アレイ」でウォレス・ルーニーのクインテッドを聴く。さすがマイルスに認められただけあって、ときに圧倒的でときに繊細なフレーズを余裕たっぷりに弾く。ちょこっと吹いては自らは後ろへ下がり、場合によっては控え室に戻る(戻って何をしているのやら)。人の入りも多く、南部料理のメインディッシュには全てジャズメンの名前があしらわれている。店員のきれいなおねえさんがお勧めしてくれた、マッコイタイナーの名が冠せられた魚料理を頼んでみたところ、非常に美味であった。演奏は大いに白熱しているのを時差ぼけの頭で夢心地に聴いていた。
翌日はホワイトハウスリンカーンセンター、ワシントン記念塔、ホワイトハウス、議事堂、FBI本部、スミソニアン博物館(を外から眺めただけ。)などなどを回り、夜しか観光はしていないにも関わらず、2日でずいぶんまわったものだと思う。夕映えのワシントン記念塔、月映えの議事堂が美しかった。
仕事を無事に終えて日本に帰ってみると、しっかり扁桃腺を腫らして風邪をひいているので、やっぱり無茶な出張はよろしくない、とつくづく思うものの、これこれで、よき旅でした。