春の獣たち

多摩にある動物公園に行ってきた。
春の陽気、春の風。白木蓮の花が、止まり木で休む小鳥のように綺麗に咲いている。
敷地面積が上野の3倍あるのもあって、動物たちは放し飼いに近いようなスタイルで飼育されていて、こちらまで開放的な気分で楽しむことができた。
家族連れがにぎわう、うららかな連休の中日。クマ、ライオン、コアラ、カンガルー、モモンガ・・・ことごとく春眠暁を覚えずの態で寝入っている。
夢うつつの動物たちの群れを眺めているうちに、自身も巨大な夢の中の一部に放り込まれているような感覚になるのは、白昼夢のなせるわざか。昨夜のホームパーティでの酒が残ってるだけか。
帰りは雑踏の下北沢へ。この1年、毎週のように下北沢に来ているのではなかろうか。連れ立った御嬢と「まるさんフーズ」で休息。いつ来ても美味也。
夜は暮れ、季節は巡る。下北沢の雑踏は太陽が地球を飲み込むまで続き、駅前で「北斗の拳」を暑苦しく読み上げる熱血漢の声は永遠にこだまする。
銀河に棲息するコウノトリが、新たな命を運ぶその日まで。

疾駆する闇

まだハイテクノロジーにさらされていない、いわゆる発展途上国を旅すると、
思ってもみない世界の中に没入することで、思ってもみないプリミティブな感情が生起することがある。

ラオスに行ってきた。日本との気温差は多い時で20度くらいで湿潤な気候なのだが、今は乾期でカラッとしている。雨期にはメコン川が氾濫して道路が冠水する。
ウィキペディアによれば、ラオスの道路は一つも舗装されてないなどとでまかせが書いてあるが、幹線道路でいえば、日本の援助で作った1号線、9号線、13号線(橋梁のみ)を含めほとんど全てが舗装されている。
人口も少ないこともあって渋滞はほとんどなく、高速でもないのに100km平均ビュンビュン走る。

ビエンチャン、サバナケット、パークセーと回ったのだが、どこに行っても平均的な治安がよい。
物乞いが少ない。バングラデシュのように歩いていて、追いかけ回されることがない。
左手を切り落とされた人が停車中の車のドアを叩いてくることもない。
電化率が低くて街並は全体的に暗いのだが、逆に街全体をロマンティックな雰囲気にしていて、特にビエンチャン中心部はちょっとしたお伽の国のおもむきがある。
外国人の、しかもバックパッカーがやたら多く、中心部でレストランバーにたむろっているのは皆欧米系なのであって、欧米かよと何度叫びたくなったことか。
ビエンチャン中心街はタイのカオサン通りのような感じでもあるが、それよりはずっとおとなしく、なんともいえない恩寵につつまれている。
メコン川沿いの屋台にはかわいらいしい屋台が立ち並ぶ。ぼったくりの店員はいない。タイとは全然違う。

ラオスの地方都市、パークセーは、カンボジアの国境に位置するラオス第2とも第3とも呼ばれる都市だ。
その日は仕事もオフで、車を借り上げてボラウェン高原から南下しカンボジア国境まで行ったのだが、そこまでの200kmの区間1本路である国道13号線には街灯がついていない。
帰りの夜道はハイビームとロービームを駆使しつつ前方の車のテールランプだけをたよりにして走行する。
カンボジアの国境を夕陽を尻目に起ち、宿にアクセル全開でUターンする。
あたりを漆黒が覆い始める。静かだ。ランドクルーザーの走行はどっしりと安定している。
ハイビームが前方に広がる深い闇を淡く照らし出す。まるで深海に沈む船を照らす探照灯のように。
信じられないスピードで、信号も街灯も標識もない両側を密林に囲まれた1本路を疾駆する。
ホタルの光のような明かりがところどころに点灯している。
不思議な感覚ーー闇を切り裂く光の中心点が眼前に明滅しては通り過ぎ、まるで埴谷が夢見た暗黒星雲を飛び越える黒馬のように次元を超えるのではないか、と思えてきたところで、街灯がようやくぽつぽつと現れ始め、ある神秘の感覚はどこかへと霧消した。

原始の闇から出でにし、闇の子孫。

小室事件にほのみえるもの

深沢七郎楢山節考』を読み終える。郷愁にあふれる牧歌的な文体と裏腹に、内容は「姥捨て山」に捨てられる、いや、正確には捨てられに行く女とその息子の物語である。
淡々と読み進め、淡々と読み終えて、獏たる感慨を抱いたが、なんともとらえどころのない作品だった。
70歳になる「おりん」は、食料不足で冬も越せないような奥山の村落で、どんどん増えて行く家族を脇目に、自ら「聖なる山」とされるところの姥捨て山に捨てられることを願う。
それこそ淡々と、しかし決然と。
深沢にとってこれはデビュー作(1956年)である。
淡々と読み進めたものであったけど、「あとがき」で正宗白鳥がこの作品を「今年のうちの記憶すべき一事件」とかたり、「人生永遠の書」と評しているくだりを読んで、またしみじみと感慨を深めることになった。しかし正宗さんならさもありなんと思った。正宗さんが『たった一つの秘密』で書いている「墓場まで持って行くべき毒気を持った秘密」というのは、思うにこのようなものではなかろうか。お題目的なヒューマニズムを超えた峻厳たる「人間の生のありのまま」がそこには突き出されていて、それはあまりにも厳格であるゆえに、その間隙を縫うようにこもれ出る人間愛としか言いようのないものに静かに心打たれるような気がした。例えば捨てられる老婆「おりん」は息子の肩にかつがれて山に向かうときも全く息子を恨む気持ちはなかったに相違ないのだ。いつまでも五体満足なことを恥として、臼にわざと歯をたたきつけて折る描写などは圧倒的だ。愛とはかくも厳格なものなのだ。そんなことを愛などと一言も使わずに書ききってしまう筆力に恐れ入る。
小室哲哉が逮捕されて、やおら有象無象もひっくるめてマスメディアがたたきまくったり、コメントが溢れ出してはお祭り騒ぎである。
しかし「世の中には、言うべきことと言わなくてもいいことがあるということを、これらの人は忘れるようである。それで、引き換えに、誰かれ構わず言われたくないことを言われる不快を味わう次第となる。」(池田晶子『考える日々穸』)
彼の楽曲のいくつかはそらで案じられるくらい一般に浸透している。さんざんそれを聴いているし、それで生活を潤わしていたわけだ。
彼を熱心に叩いている(事件に直接も間接も関係ない)人たちは一体何を叩いて、何に怒っているのかどこまで己のうちに得心しているのだろうか。ただ言わなくてもよいようなことを、退屈紛らわしに言ってるだけなのではないか。
そんな中、小室の妻が毅然と離婚しないと言う当たりに楢山節考に通抵する峻厳な愛を感じたりするのは、年をとったせいなのかね。

三十而立

30歳になった。
お祝いしてもらったりするも、30の自覚もないままにするりとこの路に入った感があって、この調子だと40の路もするりと入るのではなかろうか。
しかしこの年になるといい加減世の中のあれやこれやが見えてきて大したことでは動じなくなる。いや、大したことでも動じなくなる。
それは胆が据わってきたというのか感受性が鈍麻してきたというのか、ぜひとも前者でありたいところだが、いずれにしても飛び込んでくる対象が自動的に蓄積された回路の中に仕分けされて行くような向きがあって、それはやはり一つ価値観が固まったというのがあるのだろう。こうして人は自由を手に入れる。
価値の指標を持たないで柔軟にして放埒に行動することを自由という風にとらえる向きもあるだろうが、断じて否、自由とはソリッドなものなのだ。
自由の語を普及させることになった福沢諭吉も書いている。
「自由ノ字ハ、我儘放盪ニテ、国法ヲモ恐レズトノ義ニ非ラズ、総テ其国ニ居リ、人ト交テ、気兼ネ遠慮ナク、自分丈ケ存分ノコトヲナスベシトノ趣意ナリ」。
埴谷雄高の『超時と没我』を読む。池田晶子との対談がやはり白眉。この人たちのまとっている空気は自由を通り越してむしろ「解放」に近い。魂の解放。
そしてドストエフスキーの『悪霊』。読んでいると埴谷雄高の『死霊』を思いだすのは埴谷のそれが悪霊の影響をうけている証左なんだろう。
風邪にうなされながらも今日はmarcel dadiのJe Te VeuxをPeter Fingerがアレンジした曲を譜面に起こす。楽しい。
明日フルーツを差し入れにきてくれる女子に聴かせてあげよう、ふふん。

PETER FINGER

密やかに光明を放っているものが好きだ。
広く大衆の手垢にまみれないことによって通俗化を免れているもの。
大衆の厳しい視線を逃れながらもけして安易な自己模倣や自己満足に堕していないもの。
音楽でいうなら、文句なくピーターフィンガーの奏でるものだ。
フィンガースタイル・アコースティック・ギターという、それ自体密やかな分野の、
密やかなる麒麟児こそフィンガーなのであって、そのEBEGADチューニングから驟雨のように放たれる魔的に美しい旋律とDAEGADチューニングから弾むように繰り出される軽快にして力強い音律が何とも気分を高揚させてくれる。
彼のLP時代の古い作品はいずれも絶版にして日本ではまず手に入らないものだけれど、彼が立ち上げたインディーズレーベルであるAcoustic Music Record社の作品群は『プー横町』などの専門通販あるいはAmazonHMVで購入できる。
フィンガースタイルのアコースティック・ギターを愛する者なら是が非でも聴くべきであるし、彼の音楽はフィンガースタイルギターという狭い枠を超えてある種の普遍性を持ってるとおれは思う。
今は彼の『midnight mood』と『come to my window』『open strings』を練習している。
いずれも大変むずかしくあるけれど、弾いていて迸ってくるこのえもいわれない感じは焦燥も理不尽も悲しみも一挙に吹き飛ばして雲間から光明が刺すようだ。
小さな密やかなる光明。小密光と呼ぼう。ああなんだか新興宗教みたいだ。

しあわせのたんぽ

今日はひさしぶりに痛飲し、久しぶりにその勢いで日記を書きなぐるので、筆は大言壮語、大方狂人の殴り書きである。
虎ノ門には雨がそぼ降り、おれは昨日も傘はさしていないし、今日も傘はさしていない。雨もしたたるほど良い男かっていうと自信はない。
今日は先輩のY氏と同期のNと飲んだ。楽しかった。酒はうだつがあがらなく楽しいに限るんだけれど、Y氏、最近べっぴんの彼女ができて同棲もしてるらしく実に幸せそうである。幸せの担保。おれはこの幸せの担保ってのはかなり重要だと思ってる。朝のくだらないみのもんたの番組で解説するヒゲ親父も、高額なギャラなんかの幸せの担保なしにはやってられない。幸せの担保なしに危険な綱渡りをして余裕をかましている御仁は現代の後期資本主義社会たるところのニッポンにはあまりお目にかからない。そんな御仁は今日も教会で説教をしながら聖書を都合良く解釈して満悦しているのかもしれない。
吉野朔実の『少年は荒野を目指す』を読了。なんだかその終わり方は、あまりにも吉野朔実的で、虚ろな感触だったのは、なぜだろう。たぶん今日は老人と海を飲み過ぎたせいもあるのだろう。老人と海って、泡盛なんだけど、ひどいネーミングだ。ヘミングウェイに失礼だろうに。
吉野朔実はラストですとんとはしごを外す。後は君たちが考えろ、というふうに。後にのこるこのわだかまりは如何に霧消してくれよう。こんな日は、埴谷雄高の石棺と年輪を読んで寝るしかない。灰色の漆喰の壁を想起しながら泥土の眠りにくるまれる。この至福。うーんしかしひどい日記だ。

last train

ようやく会社のゴッタゴッタの繁忙期も片がつきそうで、素直にうれしい。ボチボチ日記も再開。それにしてもめっきり冷え込み始めたものだ。
この半年ときたら、まるで病気のハムスターみたいに回転車をカタカタ必死になって失踪している感じだったもの。
しかしようやく1年の成果をとりまとめて、無事に報告書作って、国会に送り込んだからにはあとは野となれ山となれ。
21時にあがれてウシシなもんだから、今日は後輩のU(女子)と山口系のとんこつラーメン屋へ。店名は愛宕六助。
さっぱりしていてうまい。まだ1年足らずの店ながら、入っていきなり生ビールのサービス、デザートには杏仁豆腐といたれりつくせり。
安いのうまいのキン肉マン的な感じで、虎ノ門界隈のリーマンにはうれしい店だ。また行こう。