しあわせのたんぽ

今日はひさしぶりに痛飲し、久しぶりにその勢いで日記を書きなぐるので、筆は大言壮語、大方狂人の殴り書きである。
虎ノ門には雨がそぼ降り、おれは昨日も傘はさしていないし、今日も傘はさしていない。雨もしたたるほど良い男かっていうと自信はない。
今日は先輩のY氏と同期のNと飲んだ。楽しかった。酒はうだつがあがらなく楽しいに限るんだけれど、Y氏、最近べっぴんの彼女ができて同棲もしてるらしく実に幸せそうである。幸せの担保。おれはこの幸せの担保ってのはかなり重要だと思ってる。朝のくだらないみのもんたの番組で解説するヒゲ親父も、高額なギャラなんかの幸せの担保なしにはやってられない。幸せの担保なしに危険な綱渡りをして余裕をかましている御仁は現代の後期資本主義社会たるところのニッポンにはあまりお目にかからない。そんな御仁は今日も教会で説教をしながら聖書を都合良く解釈して満悦しているのかもしれない。
吉野朔実の『少年は荒野を目指す』を読了。なんだかその終わり方は、あまりにも吉野朔実的で、虚ろな感触だったのは、なぜだろう。たぶん今日は老人と海を飲み過ぎたせいもあるのだろう。老人と海って、泡盛なんだけど、ひどいネーミングだ。ヘミングウェイに失礼だろうに。
吉野朔実はラストですとんとはしごを外す。後は君たちが考えろ、というふうに。後にのこるこのわだかまりは如何に霧消してくれよう。こんな日は、埴谷雄高の石棺と年輪を読んで寝るしかない。灰色の漆喰の壁を想起しながら泥土の眠りにくるまれる。この至福。うーんしかしひどい日記だ。