雑誌売り場の能動的ニヒリズム

 書店の雑誌コーナーで、女性ファッション誌『ageha』が目に入ってきて、いきなり前面に「生まれつきエビちゃんじゃなくたって、私たち努力と一緒に生きていくんだ。」というデカデカとした文字とともに、たしかに努力と一緒に生きている感じの少女が厚化粧して映っているのを見て、なんだかそこから沸き立ってくる能動的なニヒリズムに感動してしまった。蛯原友里は女優としての姿勢で十分努力が必要なのだけれどもね、と突っ込みを入れたいところだけれど、踊らされて健気に雑誌を購入する女子もいるのだろうなあ。
 最近は仕事がいよいよトヨタ自動車ののベルトコンベアのようにしゃかりき回りはじめて、その流れにのって忙しく立ち回っているうちに一日が暮れるという日々を送っているのだが、忙しいといっても実際のベルトコンベアのいつ終わるともない忙しさに比せば、なんとイージーな労働であることよ。学生時代にヤマト運輸の倉庫で割のいいバイトとして、ベルトコンベアで仕分けを1ヶ月ほどやったものだが、死ぬほど単調だったという記憶があって、まるで吉田修一の小説の中に登場してきそうな単調な作業がそこにはあって、でも吉田修一の小説のようなドラマ性は全くないという有様だった。あの頃はおれもだいぶけなげだったということだなあ。 
 未映子「頭の中と世界の結婚」、今日も聴いているのだけれど、何気なく聴いているだけで良さが伝わってくる。「麒麟児の世界」、まるで人生のようにたたみかけてくる声に満たされる幸福。

 すべてが過ぎ去る
 人々の感嘆の声、声
 愛すべきあの日の光
 匂いは溶け、目は開いてすべてが輝く
 麒麟児のあなたが望むなら 叶うわ

ニヒリズムを超える手がかりは、いつだって優れた芸術、突き抜けた人間の力の存在なのだな、と思う。