頭の中の政略結婚

 未映子の『頭の中と世界の結婚』を聴きながら。いやあ・・深まってるよ世界が。夜のしじまに溶けて流れてゆくような旋律、歌声。
 これまでの100%もぎたて果実のジュースみたいな歌も好ましいのだけれど、いよいよなんだか彼女の歌になってきたというか。(菊地)美保にしてもそうなんだけど、どうしてこう、こういう逸材が歌謡曲の世界で大きく取り上げられないで、口当たりのいい薄っぺらなアイドルの歌ばっかりが取り上げられるのだろう。たぶん、歌っているぶんに何も考えなくてよいからなのかな。
今日は2時寝5時半起き。それもあってか、朝、今季の芥川賞『アサッテの人』を読んでいたのだけれども、まったくかなわんかった。くえんかった。どれだけくえなかったかというと、小学生のころ、文房具屋に売っていた200円くらいの小さな匂いの玉がたくさん入ってる小瓶で、しかもカレー味、くらいにくえなかった。まあ、今季の芥川選評、というか石原慎太郎が何と申しているのか「拝読」したくて買ったわけなので、全然よいのであるが、受賞作に関しては小説としてはしごく退屈だったのは事実。
 石原氏も言うように、作者の持ってまわした技巧に付き合いきれない、というか。しかしさはさりとて、作中から得られるものはあるわけで、それは我々の持つ無意識で奇矯なる精神の弛緩というか、この論理にまみれた世界の中から思い切り逸脱したくなる衝動というか、そういう心中にうごめく塊を誰しもが持っているのではという洞察である。1階から26階まで上昇するエレベーターの中で、倒立してみたりペニスをずっと出してみたり、ポンパポンパと意味不明に喚くのはいかにも馬鹿げているけれども、わからなくはない。その馬鹿げた逸脱の快感は。
 まあそれにしたって、諏訪哲史の作品、睡眠不足の頭ではなく、すっきりと読みたいなとは思うけれども、まあ古典的名作の後でいい、そんな芥川賞受賞作だった。
 口直しに明日からまた『死霊』をこつこつ読み入るしかあるまいに。