ゴダールの『軽蔑』

ゴダールの『軽蔑』を観る。例によって全然入ってこない。びっくりするくらい入ってこない。ゴダールがヒーローだった60年代、70年代に生まれていたのなら、彼のアフォリズムに満ちた作品はやっぱり新しい何かとして衝撃をもたらしてくれたのかもしれないのだけれど、今こうやって観ることには何だかとても冗長な感じがするし、もちろん空間の切り取り方だとか、音楽の挿入の仕方だとか、新鮮な部分がないではないのだけれど、むしろそういうところの作為性が逆に映画映画していてちょっと自分には受け入れがたいというのが正直な感想になる。
とはいっても『勝手にしやがれ』や『女は女である』とか『気狂いピエロ』とか、わりに好きな作品があるにはあるわけで、でもよくよく考えるとそれらはの作品は、内容がどうとかというよりジーンセバーグやアンナカリーナが美しいというのが自分的には最大の魅力だったりもするわけで、やはり作品の持つ美しさは人物の美しさに支えられる面が大きいのだなあと思わされる。
だからおれは何かスノッブな語り口でゴダールゴダールと言っているのを聞くのがあまり好きではないし、そんなこと言ってる人はあまりいないけれども、浅田彰なんかが『右側に気をつけろ』を絶賛したりしているのを見てもふーんとしか思わないわけで(DVDは持っているのだけれど)、それよりもっと精緻に構成された深みのある作品をどっぷりと味わいたいなあと思うのであった。とはいってもこの先、また作品を観直すときがきて、やっぱりゴダールいいなあと思えることになるかもしれないし、それはそれで素敵なことだろうと思うし、ゴダールにはまだまだ生きてもらって映画を作ってもらいたいなと思う、ほんとうに。