思った事の半分だけ

ひさしぶりに朝まで呑んだのだけれど、毎日5時間程度の睡眠のわりには、まったく飲んでる最中やカラオケで歌っていても眠くならないということはまだまだ自分も若いってことなんだろうな。
3次会のカラオケでケツメイシの「三十路ボンバイエ」を熱唱している傍らで歌詞を追っていると、なんか調子のいい歌詞だなあと思った。要するに三十路の魅力をこんこんと唄っているわけなのだけれど、なんだかとても無害な歌詞だなあと思ってしまう。とてもいい曲ではあると思うのだけれど。とはいっても世の中のポピュラー音楽の歌詞なんてものは、ほとんどは無害なのであって、いちいち心に深くのしかかってきたら、聴くのにも一苦労ということになったりするだろうな。尾崎豊の「永遠の胸」みたいに。
三十路とか四十路とかに関係なく、歳を重ねるということは、感情のバロメータの振れ幅が小さくなっていく、ということになるのだろうし、それは別の言葉でいえば些細なことで動じなくなる、ということや、理性的な行動が取れるということにもなるわけだけれど、あえて感情の振れ幅を小さくするように努力することによって、外部からの自身に対する批判なり抑圧、権力行使に対してあらかじめ防衛線を張っておくという意味があるのかもしれない。
村上春樹羊をめぐる冒険』に、思った事の半分しか口に出さないように決め、そういう生活を三年間続けていたらある日思った事の半分しか発言できない性格になってしまっていた事に気がついた、なんていうくだりがあるけれど、そうやって防衛線を張っていくうちに感情が失われるという側面はまぎれもなくあるのだろうな、と思う。
朝の小田急電車は、夜を明かした若造やらサラリーマンやら、どこにいくのかスッキリした表情の外国人やらで座席は埋め尽くされていて、テンションを高いまま引きずってる連中が迷惑を顧みずにしゃべりまくっている光景や、席に座りし人が深い眠りに落ち込んでいたりする光景が見られて、もちろん自分はすっかり眠りこけていた上にちゃんと乗り過ごしてスゴスゴ引き返したのだった。