少年は荒野を目指す

吉野朔実の同タイトルは、今から20年以上も前の作品だけれど、傑作『ぼくだけが知っている』に通底する味わいがありますな。
吉野さんの描く世界は流麗で美しい。とりわけ彼女の描く星空と草原はどこか優しくなつかしい気持ちにさせられる。夢と現(うつつ)を行ったり来たりするような感覚。それは大島弓子の作品(『F式欄丸』『バナナブレットのプティング』など)にもあるのだけれど、大島さんの作品が夢のほうに寄っている感覚が強いのに対して、吉野さんのそれは現実描写の延長上にすっと、いやらしくなく夢への入り口が配置されているような感があって、それは吉野さんの巧さというか、洗練というもので素直に感動させられる。『少年は荒野を目指す』にしても、彼女の作品は等身大の不全感の隙間をそっと縫うような、優しい看護婦のような眼差しが感じられて、この安心は少女漫画という形式を超え、吉野さんの人間性に依るところが大きいのだろうなと思われて、なんともいえない良い気分になるのだ。
昨日はNくんと町田のジャズハウス『nica's cafe』へ。紙上理のクインテットを聴いた。奇麗にまとまっている小気味よい演奏だった。紙上さんは、一見するとゲートボール老人風なのだが、ウッドベースを手にするや、その小柄な体躯のどこからそんな力が・・!と思わされるようなタッチで圧倒された。音楽はいくつになっても追求できる。そして年輪とともに熟練の深みが増す。それは才気走った神童の演奏とも違う、人間全体で表現される人間臭い演奏である。でも、そんな演奏が人の心にしみいるというのは一つの事実だ。今年聴いたソニーロリンズは御年77歳(だっけか)、今度来日するジムホールも同年齢、いつかNYで聴いたレスポールは90歳を超えていたっけ。おれもまだまだ負けていられないと、ギターの神様peter fingerの幻の廃盤『Acoustic rock guitar』を偶然見つけてアメリカの中古レコード屋に発注、送料のほうが高いよ。