頭の中の指揮者よ、大海へ出よ

昨日はベッドの中、スミノフを傍らに置き、川上未映子の『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』を読んでるうちにいつの間にか眠ってしまい、朝起きたらば実に11時間も眠っていて、いつもの倍じゃねえかと思いつつ、のどの渇きを癒すべく残りのスミノフをくわっと呑んで、すぐ出勤。小田急電車は冗談みたいに込んでいて、登戸あたりでふざけんな、学園前でもうふざけんな、というかっこうであった。ドアが開き、ちょろっと人どもが出て、ずどどどどと勢いよくなだれ込んでくるこの不快なピストン運動はなんなわけ。
 昼には神保町に最近できたジャズ喫茶「BIGBOY」に行く。店は小っちゃっこいんだけれど、想像していたよりも音が良くて、スピーカーは埋め込み式のJBLの4343Bで図体はごっついのに繊細な音を放出していた。入っていきなり耳に慣れた音が飛び込んできて、それもそのはず一家に一枚盤のエヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』なのであって、スコットラファロのベースが凛々しく響いてるのであって、ポールモチアンのドラムスもシャラシャラ・ドタントンと締りのいい音だった。ポール・モチアン――NYのヴィレッジヴァンガードで生で聴いたはずなんだけど全然思い出せないぜ。
 しかし、BIGBOYはコーヒーもうまいし、BLTサンドもうまくて、セットで1100円は安月給にはきついんだけれど、通いたくなる店だし、マスターも丁寧で好感がもてたし、なんといっても「響」がなき今、神保町唯一のジャズ喫茶なのだ。
 コーヒーをスルスルと飲んでいたたらば、とても気持ちのいい音があふれ出してきて、誰かと思ったらペッパーで、カウンターにかけられたジャケットを見ると『サーフ・ライド』で、どうりでと思ったのだけれど、あいかわらず可哀想なくらい誤解されそうなジャケット(頭の悪そうな水着の姉ちゃんがサーフィンしてる)だなあと思いつつも、やはりいいものはいいのであって、今も家でかけて聴いていたりする。
 最近は、しかしジャズからは何か気分が離れていて、iPodでも小林秀雄の講演を入れて聴いてたりするのだけど、これがまたべらぼうにいいので、何回も繰り返しては聴いてしまう。『信じることと、考えること』なのだけれど、なんかガヤガヤとした体育館みたいなところで、文面では堅苦しい小林が、聴衆にわかりやすく諭しているのを聴いていて、電車の中とかはガアガアうるさいから、ただでさえ小さい小林の声が逃げないよう耳にふたして聴いてる始末なので、なんだか火星人と交信している気分になった。
 しかし、壇上に座る火星人ならぬ小林が、実にあっさりと「だから魂なんてもんも・・考えればなんでもないことですよ。僕ら死ねば霊魂がなくなるだなんてそんなノンキなことをみんな考えてる。こんな古い考えはないです。それはこの300年来の科学という考えにばかされてるんです。魂が在るなんてのは、そんなのはもうわかりきった常識ですよ。」なんて語るのに男惚れ。
 脳なんてものはオーケストラの指揮者みたいなもんで、精神は奏でられる音楽なんであって、脳は音楽がちゃんと奏でられるために我々を現実生活につなぎとめるための器官にすぎないんだってこと、脳髄が解体したって精神は生き続けるかもしれないじゃないかということ、ああ、こういうまっとうなことを聞くと、日々の文書的な雪かき仕事で疲れていても何とか精神の平衡が取り戻されるよなあ、ありがとう小林秀雄、と言いたくなる。こういう精神が日本の論壇にいたんだということを思うと、とてもうれしくなる。
 おれんとこの頭の中の指揮者は、とても保守的で融通がきかなくてつまり頑固で意地悪くて狡猾で臆病なんだけれども、もう小澤征爾みたいにフランスにでも飛び出して研鑽つんで帰ってこいといいたい感じなのだけれど、これを書けといってるのは頭の中の指揮者なのか?精神なのか?